小説:角田光代、絵:松尾たいこ『Presents』(双葉社、2005年)

六歳のあのときは、なんと身軽だったのか。あれだけの荷物で、地の果てまで逃げられると思っていたんだから。だらしなく中身の飛び出したランドセルを前に、私は笑い出す。笑いながら、ランドセルをひっくり返して、たった今詰めこんだ中身を全部床にばらまいた。(p.32)

八年間ってこういうことだよな、と、歩調を合わせながら私はぼんやりと思った。もっとつき合いの短い人間なら、これからふろうとしている相手に、新しいだれかのことを熱く語ったりもしないし、出会いの興奮を微細に報告したりしない。彼が今、私にそんないちいちを語っているのは、私を傷つけたいからではなくて、私ならわかってくれるという確信があるからだ。彼が何に魅せられ、何に心を躍らせ、何を欲しはじめているのか。(p.94)

ねえ、たまたま席が近かったにすぎない私たちが、なんでこんなに長い時間いっしょにいると思う? それはね、きれいと思うこと、美しいと思いたいことが、みんないっしょだからだと私は思うんだよ。いっしょにお弁当を食べたあの三年間で、たぶん、私たちはおんなじものを見てきれいだと思うようになった。だからいっしょにいるんだよ。汚いと思うものがおんなじでもこんなには仲良くならない。きれいだと思うものがおんなじじゃなければ、いっしょに時間をすごすことなんか、できないんだよ。(p.114)

贈り物をテーマにした短編集。全部から引用してもよかったのだけど十二にもなってしまうので、三つだけ。

贈り物といっても、それは「名前」だったり「初キス」だったり「料理」だったりするのだけれど、本からいくつか書き出してみたら、それは誰かと一緒に(まあひとりでもいいんだけど)生きてきた時間全部なのかなぁ、とも。時間は嫌だったことも贈り物に変えてしまうことがあるからね。

生まれてから死ぬまでに、私たちは、いったいどのくらいのものを人からもらうんだろう。そんなことを考えながら、毎回文章を書いていました。人はだれでも、贈るより、贈られるほうがつねに多いんじゃないかなと思います。品物は、いつかなくなってしまっても、贈られた記憶、その人と持った関係性は、けっして失うことがない。私たちは膨大なプレゼントを受け取りながら成長し、老いていくんだと思います。(p.205「あとがき」より)

「あとがき」にそんなようなことが書いてあるね。