角田光代『予定日はジミー・ペイジ』(白水社、2007年)

 「私、ひょっとしたら子どもできたの、うれしくないかもしれない」(p.20)

これは最初の方で主人公が、夫に、自分の気持ちを打ち明ける時のセリフ。けど本当は「ひょっとしたら」「うれしくないかもしれない」んじゃないものだから、すぐに「だからねえ、私、子どもできて、でもね、ぜんぜんうれしくないんです」と言い直している。夫の方は妻の妊娠を知って「やったあ」と喜んでいたから、この告白はそれなりに大変だったのだろう。

私は主人公の気持ちに近いので、この夫のような反応にこそあれれとなっちゃうんだけど、でも女性にも子を望んでいない人がいるのだな、って、そんなの当然なのに、改めて言われてみて、そうは考えていなかった自分を、ちょいと斜めから見てた。

で、小説の方は、やっぱり健全に、ちゃんと出産する心構えが、もちろんそんな大げさに語ってなどいないのだが、できちゃうのだった。これはきっと十ヶ月もお腹の中に抱え込んでいるからなのかな。胎教っていうけど、はっきり教育されているのはお母さんだものね。

男は胎教されないんで、私のような人間は、じゃなくて私の場合は、子供が生まれてきても何も変わらず、なんだけど。

ところで、あとがきを読むとこの小説は、一番最後の部分(一月一日から九日の部分か?)が先に出来ていて(正月の朝日新聞に掲載)、そこに至るまでの話をあとからでっちあげたとある。へ。

ってことは、胎教の結果の小説、ではないんだ。うーむ。