森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』(集英社、2009年)

 女性史の上で、与謝野晶子ほど圧倒される人はいない。彼女は生涯に五万首余の歌を詠み、十三人子を産み、そのうち十一人が育った(一人死産、一人生後すぐ夭折)。子どもの着物も自分で縫った。歌のみならず詩を、小説を、童話を書き、大正期には評論、随筆を多く書いた。けだし超人である。しかも二十二のときに出あった男を夫として、生涯添いとげたというのも芸術家としてなかなか真似のできないことだ。(p.9)

 題名の「女三人」は、著者たちのことではなく、与謝野晶子、中條(宮本)百合子、林芙美子がかつてシベリア鉄道に乗ったことを指している。彼女たちの日記や作品にそって、森まゆみが旅をするというわけだ。旅行記としてよくできているのだが、面白さに引き込まれると、逆にこの構成が鬱陶しいものになってくる。ちゃんとした評伝が読みたくなってしまうのだ。何も知らない私には格好の入門書だったっていうのにね。

 別棟の二階にその名医はいた。老教授といっても六十代。健康に注意しているせいか、すこぶる若い。わたしの手首をじいっと押さえて脈をとり、
 「頭に血がめぐっていない感じだ」
 という。そして手元の紙に自信満々たる筆跡で書き出した。
 一、更年期綜合症――内分泌失調
 一、脳供血不足――頸椎病――脳巣症
 漢字だから分かる。
 「頭痛と耳鳴りもあるでしょう」、はい。
 「どんな仕事です?」、書いたり、読んだり
 「それで分かった。ずっと下を向いているので骨が変形して血が頭にいかないんです」。どうしたらいいですか。
 「凧を揚げなさい」
 これには吹き出した。東京で凧を揚げろと? やってみようじゃないか。上を向くことが必要なのだな。(略)(p.224)「脳巣」に「めまい」のルビ

本当にやったんでしょうな、凧揚げ(疑り深いので念をおしたくなったのね)。