林望『リンボウ先生家事を論ず くりやのくりごと』(小学館、1998年)

 冗談でも揚言でもなく、私は料理が上手い。そう言うと、「男の料理」のようなものを想像して、ふと意地悪い笑いを浮かべる女の人もいることかと想像されるのだが、それはとんだ見当はずれというものである。(p.133) 「揚言」に「ようげん」のルビ

なにしろ「くりやのくりごと」である。台所だけには近づきたくないと思っている私のような人間には不向きな本であることは間違いないのだが、読んでしまったのである(私に節操がないというしかないのだが)。

それはいいとしよう(自分のことはすぐ正当化してしまうのだな)。けれど、「私は料理が上手い」なんて言われてしまってはむくれたくもなるのであるが、ま、それやあれや(なんだ、他にもあるのかよ)を差し引きさえすれば、そう憤慨したものでもなかった。

 「このあと、お食事でございます」
 と子細らしい顔で仲居が宣言する。そして、ちょっぴりばかりの飯と味噌汁のたぐいと、漬け物なぞが、暗号のごとく出てくる。
 とすると、なんだ、いままで食べていたのは「お食事」ではなかったのか。しかり、あれは食事ではなく、「肴」を順次食していたに過ぎぬのである。「肴」ということばは、元来「さか+な」で、「さか」はいうまでもなく「さけ」の語尾変化型、「な」は「魚」や「菜」である。すなわち、酒を飲むためのおかずという意味にほかならない。(p.39)最初の「お食事」に傍点ルビ

リンボウ先生が下戸であることも更なる親近感(年が近いとかそういうのもあるが)を生んだようだ。リンボウ先生がこの項で丸谷才一の「刺身は、熱いご飯といっしょに食べたい」という発言に「それその通りと横手を打った」ように、私もリンボウ先生のこの料亭批判には同じ思いがしたのだった(引用部分はそこから少しそれて、蘊蓄部分にしてしまったが)。

台所だけには近づきたくない、と書いたが、現在皿洗いは、夕食時に限ってながら私の担当となっている。リンボウ先生は、この皿洗いにもページを割いていて、事細かにその手法を開陳している(p.63)。実は私の皿洗い歴は短すぎて言えないくらいなのであるが、そのやり方は、リンボウ先生と意外と近いことが判明した。洗い桶をきれいにするのは同じ。ただ洗剤を使ってまで徹底してはいない。そのかわり、すすぎはもっと丁寧だろうか(リンボウ先生のすすぎでは不十分と思うのだ)。

何事も合理的にやらなければ、という考えは、それを実行しているかどうかを別にさえすれば、私にだってあるのだ(リンボウ先生と同じようにちょいと威張りたくなってしまったのだった)。で、そうやって試行錯誤されたことが似たとしても不思議はないのだが、多少なりとも力を得た感じがするのであった。いや、まあそれだけの話なのだけれど。