白石一文『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』下巻(講談社、2009年)

 二度と会うことのない人は、僕たちにとって「もうこの世にいない」のと同じだ。だとすれば、可能性としては会うことができるとしても、決して会うことのない人々で満ち満ちた「この世」なるものは、死んでしまった人々が住むという「あの世」と一体どれほどの差があるというのだろうか。(p.98)

やはりよくわからない小説だった。引用した文章のようにまったく理解できないところもあったが、それは少しで、白石一文の小説を読むとよく感じることでもあるので驚きはしないが、それ以上に(上巻の時に少し触れたように)、破綻しているのではないかと思える構成なのである。

細かいことで申し分けないのだが、「新村光治」(←小見出し)の項だけ登場人物名がカタカナではなく漢字なのは何故なのか? 新村光治もそれまでは「N」だった。

この新村からの出馬要請、弟の生まれ代わり、の展開は、精神的な話でごまかされそうでイヤな気分にもなった。カワバタは「新村の長広舌を聞いているうちに次第にその話の内容に惹き込まれてい」(p.236)ってしまうのだ。が、それはあっさりすり抜けてしまう(イヤな気分はこれで消えてくれるのだが)。確かにp.226からの新村光治の長広舌は聞くに値する。だけど「この世界なんて一瞬で変えられる」(p.235)というのは、どこまで本気なのだろう。

 機会の平等ではなくて結果の平等こそ追求しなくてはならない。それが我々政治家の真の仕事なのです。(p.233)

このあとのショウダによるカワバタの拷問、そしてショウダの協力者だったリコではなく、ミムラ・ユリエとの新生活?というびっくり展開が。この本は物語ではない部分を読めばそれでいいのかもしれないのだが……いや別につまらなくはなくて、どころか、とても面白い小説なのだけれど。