鈴木孝夫『日本語教のすすめ』(新潮新書、2009年)

 ところが連載を終わり改めて全部を読み返してみると、これは結果として私の色々な分野にまたがるこれまでの仕事の、一種のアンソロジイと言ってよいものとなっていることに気が付いた。そして殆どの記述に一貫して見え隠れしているキイノートは、多くの日本人が未だにもっている〈日本語という言語は様々な点で進歩発達の遅れた不完全で不便な言語だ〉という思い込みを、何とか正したいという思いである。このことが今回この本の題を、初め考えていた『日本語万華鏡』ではなく、『日本語教のすすめ』というやや刺激的なものにした理由である。(p.248)

鈴木孝夫の著作は何冊か読んでいるし、本人の講義も何度か聴いているので、この新書に特別な目新しさはなかった。が、おさらいにはもってこいで、というか、記憶力の悪い私はまるっきり忘れていることがいくつもあって……でよく目新しくないなんて言えるよなぁ。

(1/30追記)昨晩のある勉強会の講義で、『日本語教のすすめ』になったのは出版社の意向、と鈴木孝夫は語っていた。たしかに『日本語万華鏡』よりは売れそうだ。講義では毎度のことながら、鈴木孝夫の記憶力(とその熱弁!も)に驚嘆。私の嘆かわしい脳と比較しても仕方ないのだが(それに向こうは、自分の本業について喋っているのだけれども)、天才というのはこういう人たちのことを言うのだろうと、もう別次元でもって感心するしかないのだった。