姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』(角川文庫14581、H19-2、解説:斎藤美奈子)★★★★☆

どう書き残しておけばよいのか……まとまりがつかないので、いきなりハイライトシーンを。なんで、本書を未読の人は絶対に読むべからず。ここに至るには、遠回りにも感じられる小学生時代の記述からすべてを頭に入れておかなければならない(と、私が言うことではないが)。

 それは河村と同じイニシアルでもある。隼子はソックスをおろし、足首に鎖を巻きつける。
「律儀なことだな。奴隷の足枷をしてる気分がしないか?」
 上から投げた皮肉に、女の頭は下を向いたままだ。鎖の小さな鉤を小さな穴にはめるために頭が足首にぐっと近づく。
「はめてやろうか?」
 いつも斜めにかまえているのが憎たらしい、すこしはオタオタしたらどうだとつい口をついて出た。かなり猥褻なしゃれだった。しゃがんだままの姿勢で、女は視線のみを上に向けた。
「ええ、いつ?」
 腹が立った。こいつは自分を軽んじている。たかが十四歳が。
 生きてゆく人間というものは二十三歳ののちに四十三歳になって知る。二十三歳の自分はなんと若く、熱を帯びていたのだろうかと。しかし、やがて五十三歳になって知る。もし自分が今、四十三歳ならなににでも新たな挑戦ができたのにと。そして六十三歳になり、さらに知る。五十三歳の自分は、三十三歳と変わらぬほどに、なんと若かったのだろうかと。
 女を見下ろす男は、たかが二十三歳であった。動じるな。たかがこんなやつではないか。さらに冗談で返す余裕を見せろ。河村は上から返した。
「じゃ、今日」
 うまく返せたと青年は満足したが、どうとでも受け取れる巧妙を、隼子は、自分がしても他者には許さなかった。ソックスをあげ、アンクレットを隠して立った。
「夜、十時半。長命東駅に行くんです。雨がひどいので家から駅まで車で送ってくれますか。新朝日町の、雑木林のポストの前で待ってる」
 そう言って準備室を出た。がらがらと音をたてて戸を閉めた。(p.261)「足枷」に「あしかせ」、「鉤」に「かぎ」、「猥褻」に「わいせつ」のルビ

きっかけや過程はどうあれ、二人は恋をし、そしてそれが誠に純なのである。姫野カオルコが人間の本質に迫ろうとしないわけがなく、であればそれは純と呼べるようなものからは遠くなるしかないのだけれど、そして実際げんなりしてしまうような言葉の羅列に置きかえられてしまうのだが、二人の思いはどうにも切なくかつ美しいのだった。

 恋とは、するものではない。恋とは、落ちるものだ。どさっと穴に落ちるようなものだ。御誠実で御清潔で御立派で御経済力があるからしてみても、あるいは御危険で御多淫で御怠惰で御ルックスが麗しいからしてみても、それは穴に入ってみたのであって、落ちたのではない。「アッ」。恋に落ちるとは、この「アッ」である。こんなことはめったにないのである。めずらしく落ちても、かたほうだけが落ちているだけで、その人間を落とした相手は落ちていないことが多い。ふたりして「アッ」と落ちるなどということはまずあるものではない。ルーレット一点賭けなどおよびもつかない低い確率である。五台のルーレット台で一点賭けして、五台ともアタルくらいの確率。(p.427)「多淫」に「たいん」、最初の「賭」に「か」のルビ

本当に引用したかったのは、ここではなかったのだが、一応『ツ、イ、ラ、ク』を説明している部分なので……。姫野カオルコは名文も美文も求めてないのだな。どころか、そんなのは糞喰らえで、って、これはまた別の感想だけど(あくまで私の感想で、本人がどう思っているかはむろん知らない)。

今回はこれでもか、というくらい本から引き写している(例によって全部は紹介しないが)。。直接本に書き込んでしまった方がいいに決まっているのだけれど、ま、私にはこれも勉強なんで。

というわけでもう一つだけ、気になる登場人物についてのものを……。

 内面の美という呪文を、心ある人間ならば嫌悪すべきだ。こんな呪文は広告代理店が女性消費者に向けたおためごかしだ。小山内先生は閉経が近いだろうし、染めているが髪の五割は白髪だろうし、乳房はあきらかに京美より小さく、たるんでいる。彼女には商品価値はもうない。洗い髪を梳く小山内先生に、色香がたちのぼるのは、彼女がそのことを熟知しているからである。牡にとって自分は“おばあちゃん”であることを熟知して、かつ牝であることを放棄していないからである。だから浅ましさも焦りもない。色気ではなく色香は、年齢には関係がない。
 ベストスリーのひとり、たとえば木内みなみが、現在ではなく、小山内先生と同じ年になったときに、洗い髪を梳けば、小山内先生と同じくらい色香がたちのぼるか。内面の美とは、小山内先生くらいの年齢になって、はじめて問題にされるべきことである。
 だが、優雅なこの美少女の、内面は鬼のように冷酷だった。
 ひとりの女が死んだことにも、何の良心の呵責もおぼえなかった。
 死んだ女は、現在の良人の前妻である。(p.282)「呪文」に「じゅもん」、最初の「梳」に「す」、「牡」に「おす」、「牝」に「めす」、「呵責」に「かしゃく」のルビ