辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』★★☆(講談社、2009-5)

結婚することが人生の前提にあり、未来に能力を繋げる仕事なんか望みもしない。経済的にも精神的にも一人立ちできない女たちにとって、結婚は間違いなく唯一の成果だった。その価値観しかないから、三十代以上夫なし子供なしの女性を指す「負け犬」の言葉は、本来の意味を離れてここで受け止められた。私の周辺の多くが、傷ついたようにやがて来る三十代の陰にますます怯える結果になった。(p.119)

幼馴染みの起こした母親殺害という異常な事件を追うみずほ。謎めいた進行なのは、彼女がライターであって、そういう目的はあるのかないのか、ということもちらちらしはするのだけれど、次第にみずほ自身の立ち位置(友人関係のみならず母子関係まで)が浮かび上がってくる構成は悪くない。

が、こういう関係性に首を突っ込むのがどうにも苦手な私には荷の重い小説だった。赤ちゃんポストのことも含めて、先がなかなか見えてこなかった(考えずにページをめくっていった私も悪いのだが)こともあり、少々苛ついて読んでいた。

山梨を離れてみて、あの頃を回想して思う。私は確かに彼女たちと自分を違うと思っていたが、私はその実そう思っていることまで含めてあの場所ではっきりと浮いていた。どれだけ私が溶け込んでみんなとうまくやろうとしても、彼女たちの方でそえを許さなかっただろう。望んだところでどうにもできないひずみ。その意味で、私と彼女たちを繋ぎ、あの場に私をすんなりと座らせていたのは、チエミの存在なのだ。
 私と違う彼女たち。確かに共感しきれなかったし、疎遠になってしまったけど、私は政美のことも、果歩のことも、飲み会も好きだった。楽しかった。だから行った。チエミの力を借りて。(p.110)

もっとも考えてみると、これの前に読んだ姫野カオルコの『ツ、イ、ラ、ク』だって、関係性という部分では似たようなほじくり方をしていたはず。が、あっちがもっと群像劇のようでもあるからか、突き放したものだったのに、こちらはあくまでみずほ視点(第一章)なので、彼女の望みや後悔が出て来てしまうからだろうか、気が重くなってしまうのである。

チエを鏡にしないで、という声は、本当に発したものなのか、それとも私が心の中でだけ吐露した声なのか、わからなかった。
 けれど、亜里紗が顔を上げて、私を見た。
「チエの中に、自分を反射して見ないで」
 愛される娘も。決断できない娘も。
 誰もみな、そこに自分を見るから、チエミを放っておけない。誰より一番、私がそうだ。
 普通、普通、普通。
 その枠を外れる異常。あなたの家は、異常である。
 だけど、その普通に正解はあるのか。それはあなたの願望が反映されていないだろうか。普通じゃない、と断じられたチエミに教えたかった。どの普通にも、正解はない。(p.246)

そうした中では、この亜里紗とのやりとりは、まあ冷静に読めたように思う。みずほは亜里紗を咎めているが(亜里紗もか)、私には、亜里紗の言い分にそう瑕疵は認められなかった。むろん、これをチエミの視点で語ると別物になるのは(第二章)そんなものだろうとは思うのだが。

 誰かに、見つけて欲しかった。
 望月チエミに戻りたかった。

 どうして、大地じゃなきゃダメなの。
 みずほちゃんから、聞かれたことがある。
 もっと、チエなら他にいくらでもいい人がいるよ。
 −−どうして、大地じゃなきゃダメなの。

 わからないわけがないと思う。私は答えに詰まっていたけど、それは答えられなかったのではなくて、答えたくなかったからだ。
 私には、他にも、いい人がいる。
 だけど、そのいい人は、私を選ぶような、そういう人だと、私にはわかってた。
 みずほちゃん。
 大地くんを選んだのは、大地くんがみずほちゃんの友達だからだよ。
 みずほちゃんと同じ匂いがする、私には、これを逃したら絶対に出会えない、そういう人だからだよ。
 あなたにはそれが、わからないはずないと思う。(p.358)

え、なに、そういうことなの? ま、よくわからないくらいだから私向きじゃないってことなんだろうけどさ。

あと、妊娠していなかった、というのもちょっとね(これまた騙されただけなんだが)。だって、

赤ちゃんポスト、もうないよ。ここに逃げてきた意味、もう、ないじゃん」
「知ってる」
「意味なくなっちゃったんなら、せめてうちにいなよ」(p.356)

という翠とチエミの会話があるのにさ。チエミの外見も翠は疑わなかったわけで(疑問に思っていないということは)、なんだかなー、と思ってしまったのだった。目立たない場合もあるらしいが、だったらそのことには触れておかないと。

私が「負け犬」とか「都会と田舎」というような観点も含めて読み込めたなら、もう少し違った見方もできたかもしれない。