一生忘れられないようなことをしたんだ、みんなは。じゃあ、みんながそれを忘れるのって、ひきょうだろう? 不公平だろう? 野口くんのことを忘れちゃだめだ、野口くんにしたことを忘れちゃだめなんだ、一生。それが責任なんだ。罰があってもなくても、罪になってもならなくても、自分のしたことには責任を取らなくちゃだめなんだよ……。

重松清『青い鳥』(新潮社、2007年、p.147)

罪を贖うというけれど、贖うことなんてできっこないのだ。だから最低限向き合わないと。それを重松清は、責任と言っているようだ。そして時効もない、と。

重松清には吃音を扱った半自伝的な『きよしこ』という作品があるが、これは吃音者である教師がヒーローとなる、重松の願望?を形にしたような連作。

村内先生は全編に救世主として登場するのだけれど、作品はすべてそれぞれの生徒の視点で語られている。だからか村内先生がどんな人物なのかは(人物像はともかく背景の部分が)よくわからない。吃音なのに国語の臨時教師という設定も、とある学校に疾風のようにではないけれどやって来て、疾風のようにではないけれど去って行くのも、ヒーローものならでは。

080609-48