米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋、2006年)

昨年五月二十五日に五十六歳で亡くなったロシア語通訳者でもあった米原万里の書評集で、週刊文春での書評が、3/5ほどを占めている。仕事の関係もあってロシア関連の、多分硬質のノンフィクションが多いはずだが、まったく退屈することがなかった。この書評集も「打ちのめされるようなすごい本」になっている。

 もっとも、私がたまらなく惹かれるのは、以下のようなくだり。『コペルニクスの太陽系の分析的解明』という論文を書き優秀な成績で卒業したゲルツェンは、そのときの指導教官で天文学界の第一人者だったペレヴォーシチコフ教授と卒業後、食事をする機会があった。教授は、ゲルツェンが天文学を続けなかったことをさかんに惜しむ。「でも誰もかれもが、先生の後について天に昇るというわけには行かないでしょう。わたしたちはここで、地上で、何かかにか仕事をやっているのです」と答えるゲルツェンに教授は反論する。「どんな仕事ですか。ヘーゲルの哲学ですか! あなたの論文は読ませていただきました。さっぱりわかりません。鳥の言葉です。これがどんな仕事なものですか」
 鳥の言葉。何と言い得て妙なのだろう。人文系の学問に携わる人々の言葉が、恐ろしく難解になっていく一方で、一日平均三〇語で事足りている若者たちの群れ。この二者間の距離は絶望的に隔たるばかりで、同じ民族どころか、同じ人類とも呼べない状況になってきている現実は、同時通訳者として、あれこれの学会の通訳に動員されるたびに、思い知らされている。でも、一五〇年前のロシアでもそうだったのかと思うと、悲壮がってた自分が可笑しくなる。(p.38)

これは、アレクサンドル・ゲルツェン『過去との思索』全三巻(金子幸彦/長縄光男訳 筑摩書房)の書評から。

 モスクワの街に初めて登場したときにはニュースになり長蛇の列ができたマクドナルド店がすっかり風景に溶け込んでいる。世界中どこへ行っても同じ味をマニュアル通りのサービスで提供するというのが気味悪い。市場経済の文化を画一化していく能力は、社会主義の洗脳よりも強力なのかもしれない。(p.48)

書評の合間にこんな光景も挟まれている。

 それまで、小学校の三年から五年間滞在したプラハで通ったソビエト学校の教科書は、どれも読み出したら最後、止まらなくなる面白さだった。これは、嘘でも誇張でもない。新学期が始まって一月もすると、大方の生徒がすべての教科書を読破し終えていた。この、面白くなくては、つまり子供が読んでくれなくては、教科書ではないという常識が、日本では逆転していて、教科書は退屈の代名詞となっていた。イデオロギーと一線を画すには羅列しかない、客観的記述=羅列という思い込みが日本の教科書を支配しているのかもしれないと思った。(p.51)

これは、西尾幹二他著『新しい歴史教科書−市販本』(扶桑社)の書評から。これに関連した記述が「最も苦痛の少ない外国語学習法」(p.437)にもあって、なかなか興味深い。

 国語の教科書に名作がダイジェストされたりリライトされた形で掲載される日本の教科書とは違って、ソビエト学校では国語の授業と宿題で、一九世紀古典偏重ではあったが、徹底的に実作品を多数読まされていた。学校の図書館で本を借りると、返す時に司書が本の感想ではなく、内容を尋ねる。本を読んでいない人に理解できるように内容を客観的に手短かに伝える訓練がされる。また、読んでいる最中も、読み終わったらあのおばさんに話して聞かせなくてはという心がけで活字を追うので、受け身ではない、かなり積極的攻撃的な読書になる。(p.439)

学校教育での国語はこうあるべき(これに実用文の練習も加えてほしい)だと私もずっと感じていた。感想文など、もっと大人になってからでいいと思うし、なにより書きたいという意志のない感想文などどうかと思う。要約なら客観的判断ができ、採点だって、必要ならばできなくもないだろう。

 作文の授業では、テーマが決まると、そのテーマに関する名作か、名作の抜粋を教師が読んで聞かせる。たとえば、「親友について」というテーマで書く場合は、トルストイの『戦争と平和』の主人公ナターシャを描いた場面や、ツルゲーネフの『アーシャ』の主人公アーシャを描いた場面などの抜粋を読ませて、そのコンテ(第三者による噂→語り手が本人に初めて会ったときの第一印象→顔、目、口など容貌の描写、立ち居振る舞い、癖、声の描写→いくつかの状況とそれに対する反応の描写→以上から推察される性格→他の人々との関係→語り手との交流→ある事件を通しての成長、新たな発見)を書かせる。次に、自分がしたためようと思っている、友人に関する作文を綴るのである。(p.439)

うーん、ここまでは考えたことがなかったが、これもなかなかではないか。少なくとも感想文よりはずっといい。この続きで自分自身のことについてちょっと面白いことを書いている。

 それでも、中学二年の三学期に日本に戻ってみると、今さらながら五年間の空白は大きかった。書く訓練はしていなかったので、必死で大量の漢字を覚えなくてはならない。私の原稿に不必要に漢字が多いのは、せっかく覚えたのだから使わなくちゃ損という成金根性のせいだ。マスコミに使い古された常套句を好む癖があるのは、紋切り型を用いると、一人前の日本人になれたような達成感を味わえるせいである。(p.441)

あれあれ。漢字はともかく、多少そういうところはあるかもね。というか、書評だと褒め言葉が底をついちゃったりとかね。

週刊文春の書評に戻ると、p.191(2003/11/27)では、自身の癌告知にふれ、書評もその類の本になっているのが悲しい。2005年にもう一度その話があり、2006年の最後の三回には、「癌治療本を我が身を以て検証」のタイトルが付いていて、「私には逆効果だった」で終わってしまっている。こんなに生きることを渇望している人が死んでしまうのだから切なくなる。

と弔辞のようなことを書いたが、苦言も少し。

 近年続けざまに刊行された諸永裕司著『葬られた夏』(朝日新聞社)、森達也著『下山事件』(新潮社)がネタ元にしていた人物その人がついに筆を執ったのだ(森達也の著書については、破廉恥な「証言の捏造」を具体的に指摘)。(後略)(p.278) 「下山事件」に「シモヤマ・ケース」のルビ。

これは、柴田哲孝下山事件 最後の証言』(祥伝社)の書評だが、ここに出てくる森達也の『下山事件』を一年半前には持ち上げている(p.212。まあこれは書評という性格から仕方ないのかもしれないが)のだから興醒めだ。同じ「週刊文春」での書評なのだから、そのことには一言でもいいから触れておくべきではなかったか。

あと、後半にある丸谷才一『耀く日の宮』(p.460)と大塚ひかり『源氏の男はみんなサイテー』(p.485)の書評と文庫本の解説にまったく同じ讃辞を送っているのはどうかと思う。