姫野カオルコ『ドールハウス』★★★☆(角川文庫10415、H9-1)

『人形の家』なのだから主人公の理加子は最後に家を出るのである。そこは同じだが、理加子の家出は夫から自由になるのではなく、さらに根源的である両親の呪縛からの逃避だ。

 私には理加子を、決して奇異な、特別な少女として描いたつもりはない。おそらく現代にあっても、いや、現代であるからこそ、彼女のような「ふつう」の少女(少年)が大勢、現代という時代が表層的に作った「ふつう」の名の陰で沈黙しているのではないかと描いたのである。あまたのsilence cryを想った。(p.240)「表層的に」に傍点ルビ

一体全体こんな家庭があるやなしや、と思うのが普通の感覚だが、姫野カオルコは自ら『文庫版あとがき(解説にかえて)』で上記のように記す。私の「普通」はいとも簡単に「ふつう」ではなくなってしまう。いや、「現代という時代が表層的に作った」ほうの「ふつう」になるのか。

ところで、これは今書いていて気づいたことなのだが、『もう私のことはわからないのだけれど』もこの作品と同列にあるのだってこと。ふつうにしてたらふつうは見逃しちゃうのだな。

 他者を受容するためには自己がまず確立されていなければならない。「個」を殺したまま存在を認めようとさえしなかった理加子は弱く、だから未熟である。
 恋愛は「個」と「個」の格闘であるのだから、よって理加子は恋愛できるはずがない。処女であっても当然といえば当然である。めぐり合ってしまった(?)江木もまた(むしろ理加子以上に)未熟である。
 世に「恋愛小説」は多く、幸運にも成熟をとげた者たちは、強い共感を抱きつつ、そうした作品群を堪能できるのかもしれぬ。それら作品群に描写される「痛み」や「嘆き」や「悦楽」に。
 だが、恋愛それ自体に到達できぬ未熟な、さらにいえば未熟でいなければならぬことを余儀なくされる環境にある人間も生息はしているのである。
 年齢的に「少年」「少女」であれば、「社会はわかってくれない」と幼い反抗に出られるのかもしれないが、己の年齢を熟知すれば幼いふるまいはできないし、年齢とはべつに性格的に慎みを身につけていれば、できない。その結果、未熟をひた隠しにし、ひたすら「個」を撲殺しつづける。これはネガティブである。破壊に向かうしかない不運である。このような層に、このような層に属していた者として、このような層を掬いたかった。それが『ドールハウス』を書いた動機といえるだろう。(p.241)「掬」に「すく」のルビ

いきなり「文庫版あとがき(解説にかえて)」からの引用を続けてしまったが、姫野カオルコもそのことは承知しているので、まあ、見逃してもらうことにする。

それに、上の引用で私が気になったのは「このような層に属していた者として」という箇所なのである。なにしろ、姫野カオルコ本人のことが最近の私の一番知りたいことなのだった(笑)。

「モテそうな人ね、なんて、江木さんってすてきな人ね、って宣言してるのと同じだよ」
「客観的事実と主観的事実はちがうんじゃないの?」
「またー、すぐ理加子はそういう理屈っぽいことを言う」
「そんなことないよ。理屈にはいらないわよ、こんなこと」
「だってモテそうって理加子は江木さんのことを言うけど、あの人、車持ってないんだよ。車持ってなくて高卒でフリーターで、顔は面皰面だよ。見事なまでに三高障害じゃない?」
 美枝の言い方にはいやみなニュアンスはなかった。それこそ客観的事実としての現代の女性の嗜好をとらえた視点でしゃべっているにすぎないことが、つまり、美枝がなにも男は三高でなくてはならないと思っているわけではないことが、すぐにわかった。
「その三高障害の人をモテそうな人っていうのは、手放しでほめているようなもんだよ」
「モテそうな人だと思うからそう言っただけよ。無愛想で図々しいから。無愛想で図々しい男性は、西洋でも東洋でも昔からモテてきてるじゃないの」
「それ、ほめてるの?」
「ほめてるわ。ただ、臭いけど」
「臭い? なにかキザなこと言ったの?」
「ちがうわ。ほんとに臭いのよ。腋臭だわ、あの人」
「いやだ、気がつかなかった」
「鼻が悪いんじゃないの? 風邪ひいた? 横に並ぶとツンとにおうわ」
「そんな、かわいそうな……。そんなこと言ってるくせにモテそうなんて」
「だから、客観的事実としてそうだって言っただけよ。自分が月を太陽だと言ったら女にも月を太陽だと認めさせようとする。自分は月は月だとわかってても、女が月を太陽だと認めるかどうかに賭けるタイプはモテるのよ昔から」
 理加子は、美枝に言うというより、書いている途中の応募シナリオのことを考えていた。
 シナリオを書くにあたって何か戯曲を読むべきだと考え、正統的にシェークスピアを読んだ。
「『じゃじゃ馬ならし』のペトルーキオがこのタイプよ」
「理加子ったら……」
 美枝がぶつぶつひとりごちている理加子の肩をゆすぶる。
「理加子ったら、そんなふうに達観していると疲れない?」
「達観? 達観なんかしてないわ、わたしは。シェークスピアがしていただけよ」
「自分じゃなくてシェークスピアが達観していただけだ、と分析するところがもう達観してるのよ」
「それなら……」
 理加子は美枝に言った。
「分析しているわたしが達観していると分析する美枝も達観してるわ」(p.86)「面」に「づら」、「嗜好」に「しこう」、「腋臭」に「わきが」、「賭」に「か」のルビ

ああ、何事にも達観してらっしゃる姫野カオルコ様!