2008-01-01から1年間の記事一覧

人間の五感の中では味覚はもっとも保守的なものであり、知っているものしか美味しいと思えないものです。

アットワンス(JTBパブリッシング)2008年10月号 「山本益博、東京フレンチで遊ぶ」(監修:山本益博、文:粂真美子)食べることに興味がないので、フランス料理について書かれたものを読むなんて、我ながら信じられないくらいなのだが、まあそれなりに面白…

「あのね、女性ってのはね、今が大事だから。過去や未来より現在が。未来の夢を語るより、現在を満足させればそのほうが安定する」

阿川佐知子『婚約のあとで』(新潮社、2008年、p.323)現在を満足させられないから未来の夢を語るんじゃ……。昨日の引用があんまりだったので。にしてはこれも文句を付けてるみたいだよなぁ。081123-208

アクセサリー売り場で勧め上手な店員に丸め込まれている母の姿が目に浮かぶ。自己顕示欲の強い母だからこそ、モノの呪縛から解かれて自由になりたかったのだろう。でも持って生まれた性格がそれをさせなかった。八年前の冬、六十七歳の年に心筋梗塞で倒れるまで、母は毎日、「無欲無一物」を念仏のように唱えながら、モノに埋もれて死んでいった。

阿川佐知子『婚約のあとで』(新潮社、2008年、p.157)内容からは離れた引用で申し訳ないが、母の引越とそのあとの片付けを見ていたものだから、「モノに埋もれて死んでいった」という部分が焼き付いてしまったのだった。そういう私も、どちらかといえばモノ…

今年六月に父が永眠いたしましたため

新年のご挨拶を申し上げるべきところ 喪中につきご遠慮させていただきます今年もはや、年賀状を用意する時期(商売的に。私自身はたいてい年明けに書くことが多い)となった。ということは喪中葉書の時期でもある。引用は、H社という紙製品会社の喪中葉書の…

かつて彼には宿敵「ゑ」がいた。隣の「わ」行でひときわ異彩を放っていたうえ、形状的にも「ん」に似たところがある「ゑ」は目ざわりな存在だった。おまけによく見ると「る」が自分を踏みつけているようにも見え、それが「ん」の自尊心をいたく傷つけた。だがその憎い「ゑ」もいまは亡い。くだらない小競り合いや馴れ合いに明け暮れる他の字どもはもとより敵ではない。意外と気にするのは「み」あたりだが、これもまあ最終音という自分の切り札をもってすれば恐れるに値しない。何といってもこれは、しりとりを一瞬にして終わらせるほどの特別の魔力

ちくま(筑摩書房)2008年11月号、p.65 岸本佐知子「ネにもつタイプ 連載・81 やぼう」50音には「あ」行や「か」行などという区分けとは別の種族が存在するという。んで、それ相応の確執(「ん」の場合は野望らしい)や近親憎悪に同族意識と、どこぞの世界と…

独自の文体をもち、主題的にも妥協を許さない監督が、制作会社の無理解や財政上の困難から不遇を託つといったことは、けっして珍しいことではない。とはいえ多くの監督がそれに言及することを好まないことも、事実である。鈴木清順は日活を不当に解雇され、一九七〇年代をなかば沈黙のうちに過ごしたが、飄々とした姿勢を崩さず、達観して好機の到来を待ち続けた。オーソン・ウェルズはつねに空元気を振り翳し、大法螺を吹いては天文学的な浪費を続けた。ジャン=リュック・ゴダールは高い矜持ゆえに不遇という観念を認めず、停滞した過去とは決別す

こうした同時代の監督のなかに大島渚を置いてみると、彼の不器用なまでの真面目さが際立って意識されてくる。というも大島はいかなる場合にも作品の不在に拘泥し、文章を通してなんとかそれを論理化しようと真剣に努めてきたからである。なぜ自分が映画を撮…

戦後のことになるがNHKのテレビドラマに『事件記者』という、主に警視庁詰めの新聞記者群を主人公にした人気ドラマがあり長いこと放映されたが、そのタイトルのバックに、当時は新聞各社が集中していた有楽町の空に、新聞社の屋上で飼われていた伝書鳩の群れが飛び回っている光景が必ず映し出された。なぜそんなことを覚えているかというと、戦前までの麹町はトンビやカラスが《制空権》を握っていて、鳩や雀が安心して飛べる空ではなかったからで、さすが有楽町は都心だと感心したためである。

ちくま(筑摩書房)2008年11月号、p.23 鈴木理生「いにしえ東京歳時記 16 鳩屋」麹町に「鳩屋」、それも「伝書鳩とその関連商品をひさぐ大店」があったのだという。「戦争が始まるまで」は。そりゃ知らんわな。とはいえ昔、伝書鳩はもっと身近な存在だった。…

その麻生と総選挙を争った石破茂は人気はともかく、キャラ立ちの面で突出している。白目をむきだしにしてことさらゆっくりしゃべる仕種は、日本軍の総司令官になって戦闘開始の陣頭指揮をとるごとき過激な発言を聞くまでもなく、それだけで十分恐ろしい。

あの紅いほっぺたで、酒豪にして愛煙家、更にはキャンディーズの大ファンにしてプラモデル作りが趣味だという。それを知って、人間存在の不可解さと不気味さを、いまさらながら教えられた。 総裁選に出馬したもう一人の立候補者の小池百合子は、石破とは別の…

マツタケや鮎の味がわかるようになったら、それなりの歳だということでしょう。そうそう食べられるものじゃないし、若い時は高値で手が届かなかったし……。それが何となくわかってきた。あと10年もしたら、「今年のは、良いねえ」とかイヤミなことを言えるくらいの年寄りにぜひなりたいものです。

本が好き!(光文社)2008年11月号、p.102 槇村さとる「おとな養成所 第二十九回 身に覚えのなきこと」私にはもう十分イヤミです。今年はいただきものを食しましたが、でもこれは30年ぶりくらいのことなんで、いや、もしかしたら松茸ご飯という名の、ほいで…

今、使い捨てにされて苦しむ若者たちが『蟹工船』に共感していると聞き、じーんとします。彼らは「自分さえ勝てばいい」という私たち高度成長期生まれとは違い、優しい世の中を作るでしょう。

しかし同時に暗澹とします。多喜二には共産主義という理想があったけど、今は、信じるに足る「正解」がない。理想は消えたのに地獄だけ復活したのです。 それにしても、多喜二が命がけで信じたあの主義は、なぜダメだったのでしょう。『蟹工船』パワーを浴び…

「おれいつまでこんなこ、とやってるんだろう」

息が詰まるようでした。声の響きが失われ、なんだか真空ってこういうことじゃないか、という思いが頭をかすめました。 「自分じゃわからないものなの?」 「、わからない……」 絲山秋子『沖で待つ』(文藝春秋、2006年、p.103)「、」ではじまる会話を書き留…

駅の向こう側には、上沼町というクリスマスが大好きな新興住宅地があって、全世帯で豆電球を窓の外壁に点滅させているが、電気はつけたら消せと習わなかったのだろうか。家電製品の会社にいたから気になるのか。夏場の東京電力があれだけ低姿勢で節電を呼びかけてもこのザマか。「上沼町に原発を」私は駅向こうに行くたびに思う。幸せは家の中でやってくれ。家の塀にぶらさげるのは「落とし物」とか「球根差し上げます」とかで十分ではないか。そしていつも思う。社会をどんどん俗悪なものにしているのは私の世代なのだ。小学生の名前の変遷を見れば

絲山秋子『沖で待つ』(文藝春秋、2006年、p.25)引用は、表題作の他にもう1篇収録されている『勤労感謝の日』から。私もこうやって、目に飛び込んできたり頭に浮かんでくるものごとに、迫力ある悪態を次々とついてみたいのだけど、なんかしょぼくれてんだよ…

「次の10年を想像してほしい。現在16歳以下の子供たちが、世界を変えていく時代に入っていく」。米ガートナー、リサーチ部門最高責任者のピーター・ソンダーガード氏は、これから起きる大きな変革の波について予言する。「16歳以下の子供たちのことを、ITを慣れ親しんだ『デジタル・ネイティブ』と定義。今、この会場にいる聴講者たち、ITについて勉強しようと努力している人たちを『デジタル・イミグレイト』と定義する。少し意地悪かもしれませんが」と、ソンダーガード氏は新時代の人類を定義した。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061025/251769/ ITpro2006年10月25日「デジタル・ネイティブを意識したIT戦略が急務に」、米ガートナー リサーチ部門最高責任者のピーター・ソンダーガード氏(署名記事:渡辺一正=日経コンピュータ)10日のNHK…

ところで、「うんともすんとも」の語源として、「ウン」は「一」、「スン」は「最高点」を意味するウンスンカルタに由来するという説を先に紹介したが、実際のウンスンカルタで「ウン」は「一」ではなく「絵札」だった。さてこれはどうしたものかと困惑したが、子供たちの様子を見ていて答えを見つけた。カードゲームは、手札に一喜一憂していたら勝負にならない。自分の手の中に「ウン」や「スン」といった強力なカードがあるのかないのかを敵に悟られないように、「ウンともスンとも」言わず、ポーカーフェイスをつらぬくこと、これが勝利の秘訣だ

本が好き!(光文社)2008年11月号、p.64 わぐりたかし「連載第十八回 見てきてさわる語源の旅 うんともすんとも/熊本県」http://www.kyuhaku.jp/museum/museum_info04-07.html ウンスンカルタについてはこちらをどうぞ。別にここじゃなくてもいいんだけど…

ロイ:It’s my story. 僕のお話だ

少女:Mine, too. 私のでもあるわ この少女のセリフに字幕屋は、はたと困った。わずか一秒なのだ。これまでも何度か書いたが、字幕は一秒=四字が原則。ここも四字以内で表現しなければならない。右の直訳は七字。末尾の「わ」を削除しても六字。まだ多い。…

「つまり、人によって全然違うんだな。私みたいに二十年かけてゆっくり見えなくなったり、ある日突然、って人もあるしね。発作のたんびに痛んで痛んで七転八倒の人もあれば、全く、なんにも痛くない、無痛の人もあるんですよ。ただ、この病気に一つだけ共通なのは『眼を食い終わったら完治する』それだけですよ」

さだまさし『解夏』(幻冬舎、2002年、p.29)ベーチェット病という、失明することで完治するという、信じがたい病についての、作品の登場人物による解説。『解夏』には表題作の他『秋桜』『水底の村』『サクラサク』の中編が収められていて、どれもさだまさ…

では、秀吉は何のために刀狩りをおこなったのだろうか。帯刀権を武士だけに限定し、身分の区別をはっきりさせるため、というのが藤木氏の考えだ。つまり、武器そのものの没収ではなく、武器を携行する「権利」を規制することが、刀狩りの目的だったのだ、と。

帯刀権という「権利」の制限こそが問題だったという指摘は、とても示唆的である。それは、近代国家の形成について考えていた私にも大きなヒントを与えてくれた。おそらく、帯刀権の問題は藤木氏が考えている以上の射程の広さをもっているだろう。帯刀権は、…

実はこの本がでたときは衝撃を受けました。というのも、「現実世界において世界征服とは、いったい何を意味するのか?」というテーマでミステリを書こうと、構想を練っていたからです。それなのにこんな本が出てしまいました。いわゆる「先を越された」というやつですね。

いくら先行作品があっても、出来が気に入らなければ「これなら自分の方が」と燃えてしまうものですが、この本は違いました。まず「世界征服って、いったい何だよ」から始まって、世界征服の目的、支配者のタイプ、世界征服の手順、世界征服した後どうするか―…

だから、答える時の一番のポイントは、この人がこれを読んで自殺しないようにってことです。

本が好き!(光文社)2008年11月号、p.6 光文社の本から 伊藤比呂美『女の絶望』人生相談で回答をする時、責任を感じるか、という編集部の質問に答えての返事。伊藤比呂美がそこまで考えて回答していたとは。って失礼な私。相談相手が自殺しないようにって考…

仕事の流れが途絶えたのも、必然かもしれない。今こそ、誰に頼まれなくてもいい、ただひたすら面白いと思う脚本を好きに書く時なのだ。「好きに書く」ことは容易ではない。面白さをジャッジするのも自分だし、誰にも言い訳が出来ない。今まで以上に難しい。今の心境は「脚本家になりたい」と願った、コラムの初回に戻ったようだ。コラムは終わる。だけど、僕が語るべき物語は、これからはじめなければならない。

ポンツーン(幻冬舎)2008年10月号、p.59 辰美イサム「痛風シネマ倶楽部78 終わりから、はじまる物語――。」この連載の存在は知らなくはなかったが、観る前の映画の情報は極力避けているため、ちゃんと読んだ記憶がなかった。したら、最終回なんだって。と言…

首や肩をぐきぐき回すが、出来の悪いプラモデルよりも接続が悪い。

恩田陸『夜のピクニック』(新潮文庫、H18、p.290)恩田陸はプラモデルも作る? 高校生の男子だからプラモデルを持ってきただけ? ほへー、作家ってすごい、とくだらないとこで感心してしまう。40年以上前にはよくぶち当たったけど、出来の悪いプラモデルっ…

だが、凶暴といい、可愛いといっても、これは、あくまでも、それを見ている人間の勝手な思い込みに過ぎないのは、いうまでもない。誰か知っている人の顔に似ているなどというのも同断である。しかし、魚に限らず、人間はなぜか、他の動物を同族に比定して云々したがるのだが、そこに、われわれの思考の限界があるのかもしれない。

一冊の本(朝日新聞出版)2008年10月号、p.9 上野昂志「ヴィジュアル本を楽しむ14 『魚の顔図鑑』写真=デヴィッド・デュビレ」 (注:上野昂志の昂は日の左下が工)まさに。美醜も思考の限界、妨げ!?081103-188

ここ数年にわたって、日本の二大新聞(「朝日」と「読売」)が自らの戦争責任について真剣に検証してきたのに対し、日本最大の英字新聞、『ジャパンタイムズ』が沈黙を守っているのは、当時のメディア環境を知る研究者にとって奇妙なことである。戦前の同紙は、外務省と密接な関係のもとにあり、同紙の論調は、日本政府の公式見解として海外では受け止められた。その意味では、日本と海外、特に米国との外交関係に与えた影響は、日本語の新聞と同等か、むしろ大きかったことも考えられる。なかでも1941年の二つの社説は、米国において事実上の宣

一冊の本(朝日新聞出版)2008年10月号、p.5 ピーター・オコーノ「語られなかった歴史1 ある英字紙の111周年」「戦争責任」を検証しちゃうんだって。「日本政府の公式見解」や「事実上の宣戦布告として受け止められ」ていたのだとしたら、検証してもらった方…

僕は、今年、日本でいちばん悲しいプロ野球ファンである、阪神ファンなので、日本シリーズなんぞ、ど―――でもいいんですけどね。けっ。どっちも負けちまえ。

毎日新聞2008年10月31日、19面 荻原浩「極小農園日記 3 種まきというより豆まき。はやる心抑え気味に」「荻原浩」続きは、もちろんたまたま。普段読まない毎日新聞を、それこそたまたま手にしたからで……。あ、でもネットでも読めますね、これ(http://mainic…

「あと五年じゃない。早ければ、五年だ。しかも他の本には、はっきりしたことは何もわからないって書いてあったじゃないか。あきらめろ。最悪なのは、お前が死ぬことじゃない。お前が生き続けてしまうことだ。人間の抜け殻になってまで」

荻原浩『明日の記憶』(光文社、2005年、p.141)記憶というのは実に奇妙なもので、私もアルツハイマーではないかと思うような経験をいくつかしている(ど忘れ程度のものではなく、もっととんでもないもの。書くと長くなるし、みっともないのでやめるが)。記…

しかし、ピアニストというのは一般聴衆には決してわからない、専門家にすら聞き取れない毛ほどのミスを悔いる種族なのである。ひとつ音をはずしたら死ぬのではないかと思いつめるように教育されているのだ。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.56 青柳いづみこ「告別のバッハ」ピアニストに限らず、プロ意識を持っていれば、どんなことであれ、似たような気持ちになるのではないか。この私ですら「組版」の仕事で、一銭にもならないのに(つまり印刷屋からは文句など…

山の貯水池の傍にある川魚屋に鯉を買いに行って、潜水艦の影みたいに泳ぐ大きな鯉を引き上げて、店の主人が金槌みたいなのでガツンと頭を殴ったときはびっくりしました。

それをぶつ切りにしてもらって、家の台所で包みを開けると、大目玉みたいな元のまま取らないウロコが一斉に逆立っていて、私は鳥肌立ちました。触れなくて家人に鍋へ移してもらい、さてこわごわと煮始めます。 鯉は骨もウロコも全部煮て食べるのです。一時間…

むかしのことを言うのは、気が引けるが、私の学生時代の一九五〇年代には大新聞社主催の「ロートレック展」などというのがデパートで催されると(大型の展覧会はデパートで催されることが多かった。いまでは不許可の国宝、重文などもデパートで公開されていた)、一応絵は額にはいれられているが全部複製、つまり印刷物ということは珍しくなかった。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.18 坂本満「「本物」と複製、そして版画(上)」えー、これはびっくりだ。私の「有名作家美術展」のはっきりした記憶(つまり自分から行きだした)は1970年からで、だからそれより20年も前のことにしても、だよ、複製の展覧…

彼らが写経した仏典のおおくは密教教典だった。九世紀ごろからインドで盛んになった密教がいち早くチベット語に翻訳され、聖なる言語であるチベット語教典として、コータン人や漢人にひろく普及したのである。つまり、一〇世紀から一一世紀にかけて、チベット語とチベット仏教は中央アジア・東北アジアの多言語・多民族社会の文化的な共通軸だったと言えるだろう。そしてそれは、一二世紀、西夏国におけるチベット仏教の流布、そして先述した一三世紀モンゴルのチベット仏教への帰依につながるものであった。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.12 武内紹人「チベット文明のユニークさと普遍性−古文書研究の視点から」世界共通語的な存在だったチベット語……。081027-181

最終的には、正義の味方バットマンが勝ち、人間性悪説は表面的には退けられるのですが、あらゆる汚い手段を使って、人間のモラル感覚を崩壊させようとするジョーカーという人間像から来る後味の悪さは消えません。それは、あらゆる人間は潜在的に敵だというアメリカ的世界観の反映だからです。

先住民が暮らしていた土地に乗り込み、銃を知らぬ彼らを銃で殺し、その土地に国を作ったアメリカ人にとって、また、よその土地から連行した黒人を奴隷として使って産業の基礎を築いたアメリカ人にとって、自分とは違う人種にいつ復讐されるかもしれないとい…